happy SWING daily life



夕方と比べれば、人も疎らになって来る午後八時のスーパー。
そこの一角を担う惣菜コーナー、既に空いたスペースが目立っている品薄のそこに、ただひたすら、腕時計と睨めっこをしている男が一人。

(30秒前……)

野菜コロッケ、若鶏の竜田揚げ、卯ノ花。
そんなラベルの貼られたトレーをプラスチックの籠に入れ、惣菜コーナーの端っこに立ち続ける男の姿は、傍から見れば少し異様だ。
しかし妙に堂に入ったその姿を、咎める者など居りはしないが。

ふと、男が動いた。
先程から惣菜の陳列をしている店員に歩み寄り、声をかける。
時計の針が、午後八時ジャストを指した所だった。

「おい」

中年女性の店員が、ゆっくりと振り返る。
そして男は、トレーを三つ、差し出した。

「八時を過ぎた。値下げの時間だ」



男の名は、跡部景吾。
氷帝大に通う三回生で、このスーパーの常連客だった。



無事30%オフのシールを貼って貰った後、会計を済ませて帰路に着いた跡部の脳内では、今夜の献立案が展開されていた。
―――おかずはこの三つで十分だ。あとは飯を炊いて、味噌汁と……。
自転車の前籠の中では、エコバックに入った三つの惣菜がカタカタと音を立てている。
一つ一つをビニール袋で包んでいるから問題は無いだろうが、道に合わせて揺れる度に、汁が洩れやしないかと気がかりだ。
そんな事に気を配りながら自宅マンションのエントランスに入り、狭い自転車置き場に愛車をとめて、エコバックの中身を覗いた。……大丈夫だ、問題ない。

集合玄関のポストをチェックして、ダイレクトメールやチラシにうんざりしながら階段を登る。
メゾネットマンションの一角。そこにある一部屋が、彼の自宅だ。
ドア横に示されたネームプレートには、二つの苗字。跡部と、そして……。

鍵を差し込もうとして、ふと中の様子に気がつく。
玄関の電気が点いている……という事は。

跡部は溜息を吐き、そのままドアを開いた。
案の定ドアは抵抗無く開き、煌々と電気の点った玄関口が彼を迎える。
そしてそこには、少々汚れた見慣れたスニーカー。

「おい!」

苛立たし気に発せられた言葉に、部屋の中から人影が現れた。
帰宅してから暫く経っている事が、部屋着に着替えた彼から見て取れる。

「オカエリー」

大きめのソーダアイスを噛み砕きながら話す。
……拍子に、着ているTシャツに零す。

「あ゛!……あーあ」
「……床には零してねぇだろうな?ったくお前は」
「わざわざ出迎えた人間に、随分な返事だね」

眉を顰めながら鼻を鳴らすのは、跡部の同居人である越前リョーマ。
青学大の一回生である。

「お前な、ちゃんと鍵かけろっつったろ。それと、玄関の電気を点けっ放しにするんじゃねぇ。それから、飯の前にそんなモン……」
「はいはいはーい煩いな。っつーか、ハラ減ったんだからしょうがないじゃん」

ヒラヒラと手を振りながら奥に消えて行く後姿に、今一度溜息を吐く。
溜息と共にカロリーが減るという話を聞いた事があるが、それが本当なら、彼との共同生活を始めてからこちら、自分はきっと痩せ細ってしまっただろう。
幸いにもその心配は無さそうだが……頭痛の種なのには変わりない。
米神を押さえながらもキッチンに入った時、コンロで煮えているだしが目に入る。
簡易のだしの元をお湯に放り込んだだけのものだが、その横のまな板の上には、一口サイズに切られた絹豆腐と油揚げが乗っていた。
横にある炊飯器は、炊き上がりあと五分の表示を示している。
……それだけで、先程の頭痛はすっと鳴りを潜めてしまうのだからしょうがない。だからやって行けるのだ。

「ねーえ」

フローリングに寝そべって、テレビを観ているリョーマが言う。

「コロッケ食べたいんだけど」
「ああ、丁度買って来た」
「ビーフ?」
「野菜」
「えー」
「文句言うな!」

そんなやり取りは日常茶飯事、これが二人のスタイルで、仲が悪い訳ではけして無い。
むしろ、我の塊であるこの二人が共同生活をしている事。それ自体が異例で、この事を知る人間の殆どが未だに信じられないと目を疑うというのに。

「今日バイト休みだっけ?」
「定期テストが終わったばかりだからな。今週一杯は休みだ」
「ふーん」

帰宅早々座る間も無く手を動かし、夕食の準備をする跡部。
それを横目に、相変わらずテレビを観続けているリョーマ。
家事の分担をきっちりとしている訳ではないが、何事にも器用な跡部が殆どをこなし、それをリョーマがちょこちょこと手伝う、という形式が 暗黙のルールになって来ている。
跡部がそれに文句を言うでもなければ、リョーマが申し訳なさを感じるでもない。
比較的長い付き合いの中で、培われて来た互いの人間像が、そうさせていた。

白米の炊き上がりを知らせるアラームが鳴り響き、リョーマが腰を上げる。
茶碗や皿の配膳を手伝い、引越し祝いに友人に貰ったグラスに水出し麦茶を入れて。

「「いただきます」」

食前の挨拶だけは、二人同時にする。
これも、暗黙のルールである。



食後の片付けを終え、順番に風呂に入る頃になると、時刻は午後十一時を指していた。
先に風呂を上がった跡部が授業で提出のレポートの最終確認をしていると、風呂上がりついでに水の入ったグラスを二つ持ったリョーマが、 メゾネットの二階に置いた、跡部の座るベッドへとやって来る。
それを受け取り喉を潤しながら、ドイツ語で書かれたそのレポートを、異物でも見る様な視線で見つめるリョーマに苦笑する。

「読める訳ねぇだろ。お前の専門は英米文化だしな」
「しかも帰国子女特別枠だしね」
「……自分で言ってて寂しくないか」
「別に?」

そう言いながらグラスをサイドテーブルへと置いたリョーマは、跡部の膝へと頭を乗せる。
火をつけたばかりの煙草を燻らせていた跡部は、何かを含んだその瞳に片眉を上げて。

「明日は?朝イチ?」

指に挟んだ煙草が掬われて、そんな言葉を乗せた唇へと宛がわれる。
軌道修正された紫煙が前髪を揺らす様に吐き出され、にやりと笑う唇が誘うのは、今や同じ味となったキスで。

「……昼からだ」

身を屈めてそれに答えながら、再び取り上げた煙草を、灰皿へと押し付けた。



「あー……の、さぁ」
「あん?」
「ごめん」
「……何だよ」
「この間買ったTシャツなんだけど……赤いヤツ」
「……あ?」
「アンタのシャツと一緒に、さぁ……」
「っ!?お前……」
「ごめんって!分けた、つもりー……だったんだけど」
「つもりじゃ困るんだよつもりじゃ!……てめー、この間も俺のYシャツに斑点付けやがって……!」

本気で悪いと思っている……とは到底思えない様な態度で手を合わせるリョーマに、沸点の持って行き場を見失った跡部。
結局はうやむやのまま、誤魔化す様に……いや十中八九誤魔化すために、だが……再び塞がれた唇が、これ以上文句を続ける事は出来なかった。



そんな二人の共同生活。



(2008/08/01)