タンデムシートのi want you !!
「店長、ゴミ袋こんだけッスか?」
「おう、それで全部。それ出したら上がって良いよ、ごくろーさん」
「お疲れさんした」
スタッフオンリー・プレートの向こうには朝日が差していた。
ギギイ、と錆付いた音を立てて開く裏口のドアには、禿げかけたペンキと掠れた店の名前。元より裏口で店員以外は野良猫程度しか寄り付く者もなく、
またその風合いが「クラブっぽいだろ?」と得意の店長によって、塗り直される事もない。立て付けが悪い訳でもないので、敢えてどう、という事もないが。
そんなドアを開け、差し込む光に目を細めて。
時刻は既に午前6時。クローズは一時間前、清掃も片付けも終えて今、裏口横にあるスペースにゴミ袋を置き、その上にカラス避けの緑ネットを被せれば、
この日最後の仕事が終わった。
リョーマは溜息を吐き、凝り固まった肩をグルリと回す。
十分に昼寝をした後の徹夜とは言え、やはり夜通しシェイカーを振るのはそこそこキツい。
しかし、簡単なドリンクやそのまま出せるアルコールが主流の店も沢山あるが、ここの店長のモットーが“若者が気軽に本格バーの味を楽しめるクラブ”である以上、
カウンターに立つポジションの自分には何も言えない。
時給と、週末だけで良いという誘い文句にまんまと乗った時点で負けだった。
ただ、気の良い店長とスタッフ、ラフなスタイルで割と自由の利く仕事内容。そして何より高時給。若さと元気の有り余った身には、十分過ぎる待遇で。
―――でもまあ、疲れた。
そう、素直な感想を言葉にする事もなく、大きく伸びをして。
この疲労感の大半は、オープンから零時近くまでカウンターを占拠していた三人の男に齎されたものだ。
普段の、何事もない日。つまりあの面子が揃ってしまう、所謂“Xデー”を除いた日には、この様な精神的疲労はさほどでもないのだが……。
ガシガシと頭を掻いて、一つ溜息。
全く、本当に年上か、と呆れてしまう。いつになっても、いくつになっても。
先輩達は、良くも悪くも相変わらず。そしてもう一人、この取り合わせの中ではイレギュラー、しかし今となっては比較的レギュラー……な彼も。
一度店内に戻り、タイムカードを切って。
未だ残るスタッフ達に挨拶を済ませたら、ロッカーから半ば空のメッセンジャーバッグを取り出し、店を出る。
面倒臭さから始終マナーモードになっている事の多い携帯をチェックし、同じくバッグに投げ入れ。
裏口同様、スタッフオンリー・プレート&チェーンの向こう側、愛車の中型二輪に向かおうとして……先客を見つけた。
早朝の風に混ざった薄白い紫煙。鼻を突く臭い。
好きだとは言わない。ただ、嫌いでもない。だからこそ、嫌がる事も止める事もしなかった、その煙草は。
「お客さーん。とっくに閉店デスよ」
バイクのシートに腰を乗せ、首だけで振り返る男。
数時間前、店から姿を消したはずの、跡部だった。
「……終わったか」
「何してんの。帰ったんじゃなかったっけ」
「まあな」
曖昧にぼかしながら、半ばまで吸った煙草を携帯灰皿に押し付ける。
シートから立ち上がり首をコキリと鳴らして。
「……朝飯のパンが切れてんだよ」
その一言で全てを理解して、リョーマは跡部に分からない様に、小さく笑った。
コンビニなら、家の近くにある。この場所へは、移動手段を自転車しか持たない跡部にとって、電車を使わざるを得ない。
しかも時間的に、十中八九始発に乗り込んだのだろう。
「バカじゃん」
とうとう耐え切れずに、リョーマが噴出す。
「なに電車賃使ってまで戻って来てんの」
「……良いだろうが別に。俺が俺の金をどう使おうと勝手だ」
「どうせ待ってるなら、家で飯と風呂用意しといてくれた方が良かった」
「……そうだった。お前はそういうやつだった」
「今更」
跡部が退いたシートを開け、ヘルメットを二つ取り出す。
一つは常用フルフェイス、自分用。もう一つは誰かを乗せる時……殆どこの男専用になっているとも言えるジェット。
そちらを放る様に跡部に渡し、愛車にキーを差し込む。
「まーいいけど。とりあえず腹減ったし」
何か言いたげな跡部は放置、サイドスタンドを蹴り、バイクに跨る。
「……何してんの」
シールド越しに“早くしろ”と催促するが、しかし跡部は動かない。
ああ、なるほど。リョーマは思う。
わざわざ始発を使ってまで戻って来た理由。
気になる事は先に消化しなければ居られないこの男の性分からして、解決しないまま惰眠を貪る事は、出来なかったのだろう。
何て言うか―――不器用なのだ。
「……分かってるって」
その言葉に、跡部の視線が上がる。
「第一、アンタ嘘吐くの下手だからすぐ分かるし」
「……そうかよ」
「そーだよ。つか、好きにしろとは言ったけど、アンタ、浮気なんて器用な真似出来るタイプじゃないから」
調子狂わされ過ぎ。と。
あの、人で遊ぶのが大好きな性質の悪い先輩に引っ掛かる、素直過ぎる男に一言。
「まぁ、俺自信あるし。……その意味、考えてみれば」
そうして、シートをパン!と一度叩く。
早く乗れ、との催促に従った跡部が、グラブバーを握るはずの右手で口元を覆っているのを見て、小さく笑った。
照れた時の癖。
―――たまには、リップサービスも。それか、例えばレモンのお詫び、とか。
言葉にしなければ意味の無い思考さえも、意味を成すのがこの関係。
言わなくても分かるし分かれ……なんて、かなり贅沢な似た者同士。
「なんかもう面倒だし、食って帰ろうよ」
「こんな時間だぜ。どこが開いて、」
「朝マック」
「……お前とあそこへ行くと、破産する」
「奢ったげるよ」
「天変地異の前触れか!」
「アンタの分ね。俺の分はアンタが出して」
全く意味ねーーーーー!!
そんな叫び声は、急発進したバイクの排気音に掻き消されてしまったとか。
(2008/11/10)