ロマンチックバカンス★ボラボラ

3日目 : 楽園式 HIGH&LOW。


「不二……顔色悪いよ?」

大丈夫?と心配顔の英二に、いつもの柔らかい笑みをなんとか浮かべて「大丈夫だよ」と返しながらも。
内心、色々な意味で全く大丈夫ではない不二は、先ほどからぐるぐると……宜しくない意味で回る胃を、服の上からそろりと撫で付けた。

ヘリポートからホテルロビーまで戻り、短時間ですっかり打ち解けた…勿論英二一人が、という注釈付きだ…新婚カップルと分かれたのがついさっき。

「英二、お腹空いたんじゃない?」
「えー……うん、そこそこ。でも不二、本当顔色悪いけど……」
「大丈夫だってば。うん、大丈夫」

何だか自分に言い聞かせる様な言葉に、英二の不安が募る。
そう言えば、奇跡としか言い様のないツパイの絶景に心も目も奪われてすっかり失念していたけれど、何となく不二の口数が少ない気がする。
カメラのシャッターを切っていた様だからあまり気に留めていなかったけれど、もしかしたらヘリコプターの中から……?
と言うか、そもそも寝起きの時点から。いや寧ろ、苦い思い出としか言えない昨晩の事を考えても、平気なはずがないんじゃないか?
今朝一番、自分の身に降りかかったトラブルのせいでついつい抜けていた、また経験の無さからどうしても薄れていた、不二の二日酔いへの心配を突然思い出した英二は、 顔には出していないけれどもしかしたら調子悪いんじゃ!?と焦り出す。

だが。

「越前達に声掛けに行かなきゃね」

その一言に、思考が止まった。

「……?どうしたの英二」

気を抜くとうぷ、と上がって来そうな胃液と戦いつつ、勿論そうとは見せない様に微笑みを貼り付けて振り返ると、英二が表情を凍らせていたのだから不二も驚く。

「や!だってほら、邪魔、しちゃ悪い、しさ」

妙に歯切れの悪い返事。あちこちに飛ぶ視線。

「……うん、そうかもしれないけど、あの二人の場合は誰かが止めないと延々と続けちゃいそうじゃない?この炎天下でそれはちょっと……ね」
「そー、だけど」

おかしい。
何かを言いたい、けれど絶対に言えない。
そんな小難しい、困った表情を浮かべながら、でも、とか、だって、とか言って渋る様は英二らしくない。
しかしそれが何故なのかまでは、不二には分からなかった。
いや、今の不二には、だが。

常夏の楽園に居ると言うのに、冷たい汗が背中を伝っている。

「ほら、おチビ達も子どもじゃないんだし、放っといてもその内帰って来るってば!」
「んー……どうかな。子どもみたいなモンじゃない?ことテニスにおいては」
「……どうしよう、否定出来ない」

英二が頭を抱えている。
何をそこまで、と疑問を抱くものの、その答えを導き出したり問い質したりする余裕が無い。
早く部屋に帰りたい。そのままベッドに倒れ込みたい。
いやその前にフロントに寄って胃薬を!勿論英二にバレない様に!
あぁでもどうしよう今後の予定は!昼食なんて食べられるはずがないじゃないか……!

これ以上醜態を晒して堪るか!という男のプライドでギリギリの不二と、その不二には知り得ない悩みを抱えた英二と。
それぞれが思惑を抱きながら手入れの行き届いた廊下を進み、昨日探検した際に見つけたテニスコートを目指す。
勿論英二の足取りは重かったが、同じくらいに不二の足取りも重いのだった。

一方その頃テニスコートでは。
普段はほぼ無人、燦燦と射し込む太陽光が強過ぎて貸切が当たり前のオムニコートに、ちょっとした人だかりが出来ていた。
宿泊客に混ざって思わず足を止めた風な従業員も数名。わいわいと喝采を上げながらコートを取り囲んでいる。
その中心、ネットを挟んでの攻防を繰り広げているのは……午前中からずっとこのコートを占領している男、二人。

「いい加減、諦めたら!」
「バカ言え!」

加減というものを、ことテニスにおいては全く知らない二人は、片方が打ち込めば片方が倍返し、まるで技のデパートとでも言えるレパートリーを目一杯披露しながら プロ宛らの打ち合いを軽く二時間は続けていた。
何かにつけて生来の負けず嫌いを発揮する二人だが、テニスにおいてはそれらの比で無いのは周知の事実。
起源は二人の出会いにまで遡るのだが、とにもかくにも、ガットも弛めの貸し出し用ラケットでよくもあそこまで、と舌を巻く様なプレイは見事としか言い様が無い。

不二と英二がコートに現れたのは、丁度リョーマがポイント対になるスマッシュを叩き込んだ時だった。

「甘い甘い!まーだまだだね」
「チッ……いいぜ、そっくり返してやるよ」

さぁ続きだ!……と、二人がラケットを再び構えたその瞬間。

「ストーップストップストップ!もうおしまい!しゅーりょー!」

コートのど真ん中に英二が割って入り、二人は同時に眉を寄せる。

「ちょ、英二先輩!邪魔しないで下さいよ!」
「今丁度良い所だ、どけ菊丸!」

飛んで来たそのセリフに英二が何を思い出したのか顔を赤くしながら頭を抱え。

「ちょっと!英二を怒鳴るのはお門違いだよ。君達、今何時だか知ってる?」

時計を示しながら不二が咎め。

不服さを隠そうともしないまま、漸く跡部とリョーマの通算何度目…何十度目?のガチンコ勝負inタヒチ、は幕を下ろしたのであった。





「続けてれば俺が勝ったのに」
「んな訳無いだろーが。あと15分もあれば俺が……」
「いい加減にしなよ君達。テニスなら日本に帰ってから好きなだけやりなよ。わざわざタヒチでする事じゃない」
「そーだよ」

ラケットとボールを返却し、明らかに着替えの必要な二人と共に、不二と英二も一度部屋へと戻る事にした。
水上ヴィラへと続く橋にも直射日光は容赦無く降り注いでいたが、シャツを吹き抜ける潮風は爽やかで爽快だ。
ブルーラグーンはどこまでも澄み、このまま飛び込めたらどれだけ……と思ってしまう。
……勿論不二の心境はそれほど穏やかでは無かったのだが。
英二一人ならば、胃薬が欲しいというフロントとの会話も早口の英語で誤魔化せただろう。しかしまさかの米英生まれが二人も一緒だと、それは不可能だ。
先に寄れば良かったと思いながらも、機会を得られなかったのだからしょうがない。
……いや、しょうがないでは済まないのだが。

「あれ?」

どうするどうする、と考えながら歩いていた不二は、隣の英二の声で振り返る。
すると、後ろを歩いていたはずの跡部とリョーマが居ない。少し離れた所で足を止めている様だ。

何やら跡部がリョーマに耳打ちをし、怪訝な顔をしたリョーマがこちらを見遣り。
溜息の後、何かを口にして頷いて見せる。

「ちょっと!いちゃつくなら部屋でやってくれないかな!?」
「ちょ、不二ってば!!」

二日酔いに対する自己嫌悪。大失敗&大破産のツパイ。そして再び自己嫌悪。
募ったイライラが、らしくもなく険ある声を出させるが。
再び歩調を合わせた二人、特に跡部から何故だか哀れむ様な視線を向けられて、それらが余計に冗長されたというのは言うまでもない。





一旦分かれてそれぞれのヴィラに戻ったものの、休憩と称して座ったソファから、どうやら腰を上げられそうにない不二が居た。
このまま横になれたら……と思いつつも出来ないのは、汗かいちゃったし俺も着替えようっと、とシャワーに引っ込んでしまった英二がいつ戻って来るか分からないからだ。
これ以上の醜態はなるものか。昨晩で一生分を使い果たした様なものなのだから!
額の冷や汗を手の甲で拭いながら、外出している間に再び新しく盛り付けられていた新鮮なフルーツ、その中にあったレモンにそのまま齧り付いてやろうか……としていた 矢先だった。
部屋のチャイムが鳴ったのだ。
従業員でなければ、あの二人でしかない。
ならば無視してやろう。と放置するが、ピンポンピンポンと連続して鳴らされれば出ざるを得ない。あまりに煩いとシャワー中の英二にまで聞えてしまう。

「……何の用」

ドアを開けて見えた姿に低めに問う。
首にタオルを引っ掛けた、先程と同じ格好の跡部が立っていた。

「やる」

そう言って渡されたのは、銀色の小袋。
日本語のロゴにそれが何であるのかを一瞬で把握し、不二が「え、」と声を出す。
食べ過ぎ呑み過ぎに!の謳い文句で有名な、胃薬だった。

格好付けてるつもりだろうが、バレバレなんだよ、と。
鼻で笑われて苛立つものの、反論する元気も気力も無いのだからしょうがない。

「……借りを作るのは性に合わないけれど、今度ばかりは有り難く頂いておくよ」
「ついでに、午後からの予定も昼寝に書き換えておくんだな。昼も要らねぇんだろ?」
「食べたくはない、けど……」
「英二先輩なら俺が引き受けるッスよ」

声と共に現れたのはリョーマ。
こちらは濡れ髪のままだがしっかり着替えを終えている。先にシャワーを使ったのだろう。

「島一周のジェットスキーアクティビティーがあるんスよね。三時間くらいかかるみたいだし、二人でも一人でも料金が一緒なんで」
「跡部は行かないの」
「俺は寝る」

ルームサービスは適当に注文しとくぜ、と言ってシャワーを浴びにヴィラへと戻る跡部には、「……案外値が張るからってケチってるだけの癖に」という リョーマの呟きはどうやら届いていなかった様で。

「そういう訳なんで、英二先輩借りて行きます。不二先輩はソレ飲んで、ゆっくり寝て、夜に備えちゃって下さい」
「夜……って越前、露骨だね」
「昨夜の先輩よりマシだけど」
「……昨夜の僕、どうなってたの」
「見た事無い顔見れました」
「……そう」

引き攣りながらも何とか笑った不二をスルーして、リョーマはずんずんと部屋に入って行く。
そのまま淀み無い足取りで進み、バスルームのドアを開けてしまったのだから不二も驚いた。

「うぉっ!!?お、おチビ何ちょ!!俺裸っ!待って待ってタオルーーー!!」

そしてもっと驚いたであろう英二の叫び声が聞こえて来る。
恐らく今後の予定について話しに行ったのだろうが……善は急げ、どころの話じゃない。
その侵入者がリョーマでなかったのなら不二も大慌てで英二救出に向かった所だが、如何せん我が最強の後輩は、型破りにも程がある。

「とりあえず、これ飲もう……」

再び上がって来そうな胃液を自覚して、不二はミネラルウォーターを取りに冷蔵庫へと向かったのだった。





内線で手配を頼んだボラボラ島一周ツアーは、観光客に非常に人気と名高いアクティビティーだ。
一周約50kmはあるボラボラ島の周りをぐるりと周遊するそのツアーは、爽快感・開放感共に抜群で、日本では小型船舶の免許が必要なジェットスキーを 自由に運転出来ると言うのだから驚きである。
他の主だったリゾート地でも同じアクティビティーは存在するが、ダイナミックさでは群を抜いているだろう。

集合場所として指定されたプライベートビーチには、白いジェットスキーが四台。ガイドであるタヒチアンが真っ白い歯を煌かせて英二とリョーマを向かえた。

「わー俺ジェットスキーとか初めて!おチビは運転出来るの?」
「後ろに乗った事はあるんですけどね。ま、今からこのガイドさんが説明してくれるって言ってますから」
「ちなみに何語で」
「英語でしょ」
「お、おチビの翻訳で俺、大丈夫かなぁ……」
「大丈夫ですって。原チャと変わんないですよ多分」
「いや全然違うよね!?」
「ダイジョブダイジョブ!relax!!」
「日本語出来んの!?」
「NoNo,ニホンゴムズカシー!コンニチハ、ヨロシクー!」

陽気なガイドの説明オーバージェスチャー付きと、簡潔過ぎる翻訳から何とか操縦方法を覚えた英二に「じゃー先英二先輩お願いします」なんて 難題を吹っかけるリョーマを後ろに乗っけて。
ガイド一人と男二人、そして同じく観光客の外国人二人をそれぞれ乗せたジェットスキーは、エメラルドグリーンの海へと豪快に飛び出して行ったのだった。





胃薬を飲んだ後、文字通り泥の様に眠っていた不二が目を覚ましたのは、英二とリョーマが参加すると言うアクティビティーの集合時間から軽く三時間は経過した頃だった。
寝過ぎた……と体を起こしたが、眠る前に比べて格段に軽くなった体に、ほっと溜息を吐く。
どうやらもう大丈夫だ。二日酔いにはあまり経験が無いからどうなる事かと思ったが、吐き気も眩暈ももう無い。全快である。
跡部と越前に感謝しなきゃだね……日本に帰ったら一回くらいご飯に呼んであげても…いやでも越前のあの食べっぷりだとちょっと……等考えつつ、 開け放たれたままのテラスに足を踏み出せば、何度見ても美しい、まさに風光明媚としか言い様のない光景が広がっていた。
潮風が頬を優しく撫で、髪を揺らして吹き抜けて行く。今朝、勿論昼間も同じだったはずなのに、何倍にも輝いて見えるのは単純に気分の問題なのだろう。
もう何度繰り返したか分からない自己嫌悪に再び陥り掛けたが、いやもう大丈夫なのだから問題無い、と光の速さで回復して。
ふと視線をやった隣のヴィラ、同じくテラスの茅葺の下で、デッキチェアに横になっている跡部を見止める。
寝ているのかな、と思った矢先に体を起こした跡部が、少し大きな声を発する。

「気分はどうだ」
「お蔭様ですっかり。薬有難う」

別に、と言った風に肩を竦めて、サイドテーブルに置いていたらしい文庫本を手に取った跡部に、そっちに行っても良いかと尋ねる。
返事は無かったがそのまま部屋を、玄関を抜けて、隣り合っている割に少々遠回りのお隣さんへ足を運べば、インターフォンを鳴らす前にドアが開く。

「何の用だ」
「お互いに相手が居ないと暇じゃない?」
「別に」

素っ気無い返事をしながらも追い出しはしない所を見れば、一応は承諾なのだろうと踏んで、跡部が再び向かったテラスに着いて行く。
白いデッキチェアに腰掛ければ、適当に食え、とフルーツ籠を目の前に置かれる。
そう言えばお腹が空いた、と思い出した不二は、とりあえず皮の薄いキウイを手に取り笑った。

「何だよ」
「いや?跡部っていつもこうなのかなーと思って。君、良い奥さんになれるよ」
「奥っ!……アイツが何もしねぇから、必然的にこうなったまでだ」
「越前ねー。別に悪口でもなんでもないけどさ、君、よく付き合ってられるなーって偶に思うよ」
「俺も頻繁に思うから無理も無ぇな」

苦い顔をして言うから、不二は笑みを深くした。

「まぁ、そんな所も相性の良さなんだろうけど?」
「知らねぇよそんなモン」
「じゃあ体の相性だ」

不二の言葉に一瞬目を見開いた跡部は、あぁそうだったこいつはこういう奴だった!と溜息を吐いた。
もう心配は要らない。寧ろあの時薬を与えたのは間違いだったのだろうか。と言うか心配して損した気分だ。

「ねぇ実際の所どうなの。最近どう?」

出た常套句!
しかし、いつもの様に米神をひく付かせる事の無かったのは、所謂“最近”……寧ろ昨夜。

苦い顔から一変。
意地の悪い笑みを唇の端に刻みながら、跡部が返す。

「まぁまぁじゃねーの」
「……珍しいな、上手く行って……」
「お蔭様で寝不足なんでね」

わざとらしく欠伸をして見せる様に、不二の表情が固まる。
そうだった。忘れてはならない事を、先程まで後悔のし通しだったのにも関わらず、体調が良くなったからと言って忘れかけていた。
未だ迎えられていない情熱的な夜の事を……!!

まるで勝ち誇るかの如く見える跡部の横顔に舌打ちをしてやりたい気分だったが、負け惜しみでしかないので止めておいた。
今夜は……今夜こそは!
宿泊はあと二日だが、明日はタヒチ本島のホテルに宿泊する事になっていた。つまり、ボラボラ島水上ヴィラでの夜は今夜が最後という事になる。
この夜に……賭けるしかない!!

隣で一人闘志に燃える男を横目に、日頃の仕返しが出来て気分上々の跡部は機嫌良く目の前に広がっている海を見ていたのだが、 遠く聞えて来るエンジン音と人工的な波飛沫に視線を合わせて、おい、と不二に呼びかけた。
ボラボラ島一周ツアーの終盤だろう、四台のジェットスキーが豪快に波を割りながら進んでいる。
比較的視力の良い二人は、それらの最後尾、二人乗りのジェットスキーに跨る互いの相手を確認出来た。

「越前が運転してる。……英二ったら、はしゃぎ過ぎなんじゃないかな」
「アイツは走り屋みたいな運転するからな。ジェットコースター並みのスリルだろうぜ」
「……それって危ないって事じゃない」

思わずテラスの端まで行って見守る不二に、いつもの事だぜ、と告げて何の気無しにジェットスキーの行く先を見る。

その時だった。
ジェットスキーの後ろ、リョーマの着ているライフジャケットの端を掴んで立ち上がった英二が、こちらに向けて手を振って来るではないか。

「英二っ、危ないって……!」
「聞こえねぇよ。まぁ確かに危ない……」

そこから先は一瞬の出来事だった。
英二が立ち上がり、あまつさえ片手を離した事で、ただでさえスピードの出ているジェットスキーのバランスが崩れた。
リョーマが文句を言うために少しだけ背後を見遣った。
丁度そのタイミングに、運悪く。大きめの波に煽られたジェットスキー。
英二の体が浮く。
ライフジャケットごと引っ張られて、リョーマの体も浮く。
その結果。

ドッボーーーーーンッ!!

「……落ちたよ!!?」
「……落ちたな」

どこかで聞いた事のある様な音がより一層轟音になって安穏とした光景を割り、不二と跡部は顔を見合わせたのであった。