必要スパイス:ロマン
「不二ぃ……ごめん」
「ん?だから、どうして謝るの?」
だってさ、俺のこと探しに行ってたんだろ?
アルコールの所為か、少し舌足らずな話し方で英二が尋ねると、不二はゆっくりと振り返って英二を見た。
リョーマのバイト先のクラブ&バーに遊びに行った帰り道、
2人は電車を降りると店とは正反対、少し背筋が緊張するくらいに静かな町を歩いている。
それなりの量を呑んだにも関わらず足取りのしっかりした不二と、いつもより歩きがゆっくり且つ若干呂律の回っていない英二。
英二の状態はアルコールが入るといつものことだが、今日は心なしか更に歩きが遅いようだ。
というのも、事の起こりは数時間前。
リョーマのバイト先に2人して遊びに行ったところまでは特に問題はない。
そこで桃城と遭遇した英二は一緒にダンスフロアに繰り出し、
曲調がトランスへと変わった時に不二とリョーマのいるバーカウンターに戻った。
ところがそこにいるはずの不二がいない。
トイレにでも立ったのかと特に問うこともなく、リョーマと、代わりにいた跡部と話して過ごすこと数分。
現れた不二は、髪と服装、呼吸まで乱していたものだから、只事とは思えなかった。
まさかそんな荒っぽいトイレはないだろう。ここのはキレイだしーと、英二が状況を飲み込めずにいても、
その場で恐らく一部始終を見ていただろう跡部もリョーマも何も言わない。当の本人も何も触れなかった。
けれど、それが判らないほど英二も馬鹿ではない。
ちょっと考えれば何となく、不二が何処へ何しに行っていたのかくらい検討がついた。
―――あー……俺まだ謝ってない。
いつもなら笑い飛ばしてしまうか、「心配性!」と怒るくらいだが、
普段は余裕さを纏っている不二のあんな姿を見ると、何だか軽く見てはいけないものを見てしまったような。
あとはアルコールの齎す何かがそうさせたのかもしれない。
店にいる間は跡部やリョーマとの会話が弾んではしゃいでいた英二だが、
電車を降りてからは不二にぽつぽつと謝ってばかりいる。
不二はそんな英二の隣に並び直すと、一度そっと背中を押して英二に合わせてまた歩き始めた。
「それにしても跡部、傑作だったよね、あれ。何処のコメディかと思ったよ。相変わらず越前もやるなぁ」
「不二ぃ」
「……英二。僕は怒るどころか気にもしてないから。怪我したわけでもなし。だからほら、謝らないの」
やはり歩みの遅い英二の手をとって、ぎゅっと握った。
そしてその繋がった手を、2人の間で前へ後ろへとブンブン大袈裟に振って歩いてみせる。
不二ぃ、やっぱ酔ってんの?と英二が尋ねても、不二は微笑っているだけ。
夜中で人通りのない道とはいえ、外で手を繋ぐのはちょっとした冒険。
判ってやっているのか、それとも本当に酔っているのか。
英二が少々働いていない頭でよく判らずにいると、もうすぐ家が見えてくるところまで帰り着いていた。
「あーあ!原チャで来れば、サーって帰れたしぃ!」
「こら、駄目でしょ。飲酒運転になっちゃうし、しかも原チャ二人乗りって」
苦笑いと、子供に対する叱り方のようなそれに優しさが滲み出る。
跡部に向かって堂々と大胆発言をしていたのは一体何処のどいつだったのか。
また英二は少々働いていない頭で考える。でもやっぱり、判らない。
「良いんだよ、僕は。あの店に行く時くらい、ゆっくり歩いて帰るのもさ。それとも何かな、英二は僕と歩いて帰るのは面倒?」
「んなわけないって。俺、別に歩くのそーんな嫌いじゃないもん」
「それは良かった。じゃあ、このまま少し寄り道してコンビニ寄って帰ろう。確か明日の朝のパン、買い忘れてるんだよ」
「ああっ、そーだ!ご飯炊いてないもんねー……」
ひっそりとした住宅街に、ただ1つ煌々と輝く光の方へ2人は足を向けた。
「英二、そろそろレジに持っていくけ、ど……本当に好きだね……」
明日の朝食用のパンに、買い足しの牛乳、それから英二の最近のブームの牛乳プリン。
割高のコンビニではどうしても必要なもの以外は基本的に買わない、と決めていても、
つい牛乳プリンを手にしてしまう辺りに、「僕も本当英二に甘いなぁ」とカゴを片手に思っていた不二のニヤつきが止まって。
英二がわくわくした表情で振り返った。
「オマケは男のロマンだかんねー!」
僕も男なんだけどな……。
何年経っても今だ理解出来ない英二のその主張に、不二は思わず困った顔になる。
清涼飲料コーナー。大型冷蔵庫の中にずらりと並んだ様々な飲料。のうちの一種類を、英二が必死に見ている。
そんな英二を見ていると、不二の頭にふとあるCMが過ぎった。期間限定で天然石のストラップが付いてくるとか何だとか。
確か英二が好きだとか言っていた俳優が出ている、その飲料の飲み心地アピールとは反対に、不二的に何だかすっきりしないCMだ。
その俳優の影響もあってか、元々おまけ好きな英二は、見事に企業の恰好の餌食になっている。
―――あぁ、またあいつか……僕の英二を誑かしてるのは……!
こんなことは別段珍しいことでもない。
その証拠として、不二が持っている家の鍵は、ストラップやキーホルダーだらけだ。
もちろん、英二が買い集めたもので、それらのほとんどはペットボトルに付いているおまけ。
最近人気の癒し系キャラクターものや漫画もの、鍵に付いているのに携帯クリーナーに至っては2つも下がっているからもはや意味不明。
携帯にはよくある、ストラップの方が肝心の本体より大きかったり重かったり。不二と英二がそれぞれ持っている家の鍵はそんな状態だ。
『不二のイメージ崩れないように俺も考えてんだよー?』
と微妙な気遣いで渡され続けたおまけたち。
その言葉や気持ちの所為か、それとも渡されるおまけのほとんどがダブったものということで、
英二の鍵に付いてるおまけたちとほぼお揃い状態……な所為か。
不二と英二の関係を知らない友人たちに「意外だ」と言われても、不二は嵩張るおまけたちを外したことはない。
一緒に暮らし始めた頃に、揃いでキーケースを買って使っていたが、そんなこんなでキーケースとはさよならしてしまった。
……あれ何処に仕舞ったっけ、と不二が思っていると。
「ふーじっ。これ、お詫びのシルシな」
店を出ると同時に、英二が不二の手にぎゅっと何かを握らせた。
「お詫びって……」
「んじゃあ、探しに来てくれたお礼!」
不二が手のひらを開くと、コンビニからの光にストラップが照らされている。
紛れもなく、先程英二が散々“男のロマン”と主張していたペットボトルのオマケの一品である。
英二的“お詫び”らしい。
天然石らしいそれは翡翠色で、若干白のスモークがかかっている。確かに綺麗は綺麗な気がする。
―――鍵以外に付けるところ、そろそろ探した方がいいかも。
それでも結局、また鍵に付けてしまうような気はする。
この鍵の存在感。お陰で忘れはしないし、鞄の中でもすぐに見付けられる。
2人で暮らす家を開ける鍵。英二の好きなものでたくさんの鍵。そして不二にはもっともっと大切になっていく鍵。
キーケースよりも、こっちの方が僕ららしいのかもしれない。
そう思うと、英二の持説も少し楽しく思えてきて。
「男のロマン、か」
“お詫びのシルシ”を手のひらで眺めながら歩き出した不二が思わず呟く。
「どったのん、不二?」
「うん?いや、ほら。英二は悪いなって思ってるのかもしれないけどさ」
訝った顔をしていた英二は、一瞬考えて、クラブでの迷子事件のことだと理解した。
不二はたまにこうして話が飛ぶ。
少し前に話していたことと、何かが何かの切欠で不二の中でぴたりと合わさる時があるらしい。
それを突如、しかも経緯なく結論だけ話し始めるのだ。
だから正確に言えば、飛んでいるわけではない。不二としては。
何年か前までは飛ぶ話についていくのに必死だったが、今となっては英二も混乱することもない。
慣れというやつは恐ろしいものである。
「御伽話とかでお姫様を助け出しに行く感覚っていうのかな?あれは僕の“男のロマン”かもしれない」
だから、英二は謝らなくて良いんだよ。
そう言うやたらとすっきりした顔を見れば、不二が自分の中で何かを綺麗に消化できたらしいことが英二にも見て取れた。
ただし、これは不二単体に限る。英二がそれで納得しているかは別の話。
“男のロマン”において自説を得、身勝手に納得している不二が、そのことを敢えて楽しんでいるんじゃないのかというのは何とも怪しい話で。
ついでに言うならば、そんな台詞、やはり酔った上で言っていることなのか、素なのかというところも怪しい話だ。
手塚や海堂あたりならすぐに「酔ってる」と判断できるものを。寒い。
「ふ、不二ってさー変なとこロマンチストっていうか……何だよそれぇ。酔い醒めちゃいそうだってのー!」
「んー……じゃあこれから別のものに酔い直すのはどう?」
寒すぎる。でも顔は熱いという残念さ。
酔いが回っているせいで赤くなっているのか、上機嫌不二の小っ恥ずかしい台詞技に赤くなっているのか、英二はわけがわからなくなってきた。
慣れというのは恐ろしいけれど、どうもまだこういう時の不二には慣れきれないらしいから厄介だ。
ムカつくやら、恥ずかしいやらで不二の背中に平手で一撃お見舞いすると、その途端に不二が笑い出した。
コイツ、やっぱ酔ってんじゃないのかと呆れつつ、英二が今日の不二を少し可愛く思ったとか思わないとか。
家に帰り着く頃には、いつもの調子に戻った2人の夜はまだまだ長い。
「ねぇ、ところで英二。この石、何かあるんじゃないの?何のお守り、とか……」
「え?あ、そうそ!全6種類らしいんだけど…っんとねー……」
ポケットから取り出したオマケのパッケージ裏の『家内安全』に笑ったところから。
(2008/10/18)