昼ドラのつくりかた
「すみません、えっとぉ……カプチーノと、こっちのプレーンスコーン1つ!」
女子大生に仕事帰りのOL、はたまた主婦まで。
平日でも休日でも、それが午前でも午後でも女性客がやたらと目立つカフェ。
アイボリーと深いグリーン、ウッドのブラウンというアースカラーにたくさんの観葉植物という、
シンプルで落ち着いた雰囲気が女性に受けている。
大通りを1つ入ったところにあるその店は、
忙しさを忘れさせてくれる小さなオアシス。
「はい。ありがとうございます、少々お待ち下さいませ」
そこで不二はバイトをしている。
大学に入って英二と暮らし始めてからでバイト歴3年目。
仕事の要領を掴むのが早かったのは言うまでもなく、今ではバイトリーダーという役職を頂いている。
通常時給800円。リーダーになると100円UPで900円。
週3日勤務だったのを、3回生になった今年は授業日が減ったのを利用して、更に1日増の週4勤務。
そこからせこせこと電卓を叩いて月収を心の中で繰り返しているなんて、
多かれ少なかれ不二見たさに来店している客には想像できまい。
白シャツと黒パンに、黒のギャルソンエプロン姿で品のある振る舞い。
こんな綺麗な人、普段どんなこと考えてるんだろう。……なんて考えたとしたら、その瞬間だけが華だ。
全ては、英二との生活の為。
英二を如何にしてパチンコ屋バイトから転職させるか、なのだ―――!
「不二くん、今のうちに休憩行ってきてくれていいよ」
13時も半になろうかという時、不二は店長に声を掛けられた。
「……そうですね、じゃあすみません。頂きます」
今日は午前9時半から5時間勤務。バイトを上がるとそのまま大学で4、5限と授業がある。
残りの勤務時間と授業を乗り切る為に、エプロンだけ外すと不二は男性スタッフ更衣室で1人、店イチオシのベーグルを齧り始めた。
5時間勤務の、忙しい昼時の休憩なんて最低限の食事を採る為だけのもので15分ほどしかない。落ち着く暇はない。
青学大学部へは駅で2駅。愛の巣からも2駅。
ここは丁度大学と家との中間地点にある。これは不二にとって大きなポイントだ。
通い易さ。それはもちろんだが、それ以上に重要なのは。
“定期が使えるかどうか”。
交通費は全額支給される。つまり、交通費水増しというセコイ裏工作の為だ。
電車2駅分は通学定期がある。
家から最寄り駅まではバスを使っていることになっている。が、実際そんなのは全くの嘘で本当は徒歩。
駅2駅分往復360円と、バス往復420円で1回のバイトにつき、+780円を稼いでいるのである。
「お前、せこいし悪どい!」と家の近所のパチンコ屋でバイト、意外にその辺は律儀な英二には大変不評だ。
だが、そんなことには構っていられない。
英二に時給のいいパチンコ屋バイトを変えさせようとする限りは、自分の方が収入がなくては強く言えないのだ。
テニスでは天才と呼ばれていても、生活面では地味な苦労の積み重ねをしているのがこのカフェ店員。
全ては、英二との……以下省略。
ベーグル2つ目を齧り始めた時、不二は椅子に何気なく転がっていたテレビのリモコンを手にした。
別に1人が嫌いなわけでも、静かなのが嫌いなわけでもない。寧ろ好きなくらいだったのだが、
英二と暮らし始めて毎日を一緒にしていると、不思議なことにいつの間にか1人の時にはテレビか音楽をつける癖がついてしまった。
……という流れで更衣室の小さいテレビがパチン、という音を立てて電源がつく。
『あぁ……どうしたらいいの』
申し訳ないけれど名前の判らない女優が、どうみても安っぽい家のセットの中で悩ましげな演技をしている真っ最中。
そう、平日の昼間名物・昼ドラである。
「……これ、まだやってたんだ」
オープニングはやたらと薔薇のCGが使われていて、無駄に気だるい曲が流れる。昼ドラによくあるパターンだ。
そのオープニングを見て、前に同じように見たことがあったのを不二は思い出した。いつ見たのかは記憶にない。
大体、正直昼ドラなんて違いが判らない。
昼ドラを構成する単語として挙げられる、不倫、愛人、妾の3つが結局根本的に一緒なのだから仕方ない。
あとは金持ちか恵まれない家かの設定の違いくらいじゃないのかと思う。
いや、どうしてそこでそう考えるかな。しかも後で自分で悩む羽目になるんだろと不二は内心昼ドラにツッコミを入れながら、
コーヒーを片手に残り5分ほどの休憩時間を潰す。それでいいのか。
不二も大概物好きだということは言うまでもない。
『はい、どなた……あ…!』
『やっと会えた……』
『ここへは来ないでって言ったでしょ!?』
『奥さん……!』
『い、いけませんっ!私には夫が!』
読めすぎる展開が昼ドラにハマってしまうポイントだという。
不二はいつかどこかで聞いたようなそれを思い出したが、理解出来ず、らしくなくズズズズと音を立ててコーヒーを啜った。
実はもう飲み干してしまっているということに気付いていないんじゃないのか、とツッコんではいけない。
「……こんなの書く脚本家、未だにいるんだな……」
―――英二は寧ろこんな典型的な昼ドラの方が好きそうだけど。案外ハマるのかもな。
宅配屋に扮した愛人が突然押しかけてきて、主人公の人妻と玄関先でごっちゃごちゃ。
漫画ですらやらないんじゃないのかという展開を、至って真面目にやっているのが昼ドラだ。
ドア開ける前にインターフォン確認しろよ、とか玄関先のやりとり長すぎてしつこいよとか、不二もそろそろ嫌気が差したところで、
ドラマのAパートと不二の短い昼休憩が終わった。
ところが。
「そういえば……!」
テレビの電源は切れたが、不二の妄想劇がスイッチオンしたのである。
カッチャーーーン!
落ち着いた店内に響いた陶器が派手にぶつかる高い音に、ランチを楽しんでいた客が一斉に振り向いた。
集まる視線の先は、カウンターに立つ、いつも仕事をそつなくこなす薄茶色の髪のカフェ店員。つまりは、不二。
「……っ、失礼致しました」
さげたカップをカウンターからキッチンに戻そうとした瞬間、手元が滑ってカップがソーサーの上に落ちた。
珍しい不二の失態に常連客は意外な顔をするわ、バイト仲間からも「大丈夫?」と声を掛けられるわ。
これくらいのミスでこんなに反応されると、カフェ店員としての不二は物音一つ立てられなさそうだ。
いつも涼しい顔、柔らかい物腰。仕事も手際良い。そんな理想の店員さん。
近しい存在ではないけれど、遠すぎる存在でもないので、勝手に夢見ている女性客もいる。
が、不二の頭の中を今見れば、夢も火山岩よろしく吹っ飛ぶ。
―――英二にもっとちゃんと言い聞かせておくんだった。
不二の脳内では、只今英二が大変なピンチを迎えている。
知らない人が来たら簡単にドア開けちゃ駄目だよ、と同居を始めた時によく釘を刺しておいたが、
英二も小学生じゃないとそれほど口を酸っぱくして言わなかったのがマズかった。
度々やってくる鬱陶しい新聞のセールスがいて、そのしつこさと「洗剤つけますよ!」のお決まり文句に誘惑されて
英二はドアを開けてしまったのだ!
―――駄目だ、英二……!いくら欲求不満でもそんな見ず知らずの男と!
考えただけでも心中穏やかではない。
ただし、これはあくまでも不二の脳内での話である。電卓を叩いている頭の方がまだマシだ。
脳内と内心は大変なことになっているが、一応いつもの涼しい顔で仕事をこなしているのだから余計に怖い。
「お待たせ致しました。こちらジャスミンティーと、カプチーノでございます」
「あの、すみません!この日替わりオススメケーキ、今日は何ケーキですか?」
2人組み女性客の質問にも、綺麗な笑顔で答えてみせる。
「本日は特製ミルクレープです。濃厚クリームで美味しいですよ」
―――……何て碌でもない名前のケーキなんだ……気付かなかった……!
碌でもないのはお前だっての。つーか欲求不満は不二の方じゃん!
英二ならそう怒る。
しかし、一つ気になると次々気になってくるから大変だ。
宅急便に受信料回収、意味不明なセールス、回覧板。
以前よくある手だと聞いたのが「消防“の方”から来ました」。
意外にしっかりしている英二だが、こういう時に人懐っこい性格が災いするのではないかと不二は危惧している。
昼ドラ恐るべし。Aパートのたった15分だけで、見事に1人を落とした。
まさか同棲も3年目になった今頃こんなことが気になるとは。
「……ごめん。7番テーブル、オーダー聞きに行ってくれるかい?」
「あ、はーい」
先程からメニューを見ている客がいる。そろそろオーダーを取りに行くタイミングだろう。
本当に冷静に、頭半分ではそんなことを考えて、ちゃんと指示が出せるのだから頭の中は大変忙しい。
不二の頭の中では、英二が新聞屋にうっかりドアを開けてしまったところからBパートを迎えそうになっていて、
不二は何とかその先の妄想を押し込めている。
正直少し想像してみたい気持ちもないことは、ない。
けれどそれは英二に悪いし、自分の妄想の中とはいえ“他人が英二と”というのはやはり許せない。
こんな馬鹿丸出しな妄想を口にする気は毛頭ないが、それでも英二の平手打ちが一発二発飛んできそうな気分にもなる。
訪問類は心配だ。それは確かなので、そこまでに留めておくことにする。
「不二、今日何時からシフト入ってんだっけ?」
「水曜日は9時半から」
「あ、そうだったそうだった。5時間て……マジよく働くよなぁ。何、そんなに金欠なわけ?」
そうだ。英二との性……いや、生活の為にこうして必死に働いているのだ。
昼ドラ生まれの馬鹿な妄想で愛想を尽かされて、三行半でも叩きつけられたら元も子もないのである。
話しかけてきたバイト友達に答えながら、不二は脳内昼ドラを強制終了した。
「まぁね……男は甲斐性が要るだろ?」
ぞくっ。
「あっれ……風邪引きかけ?うー、ヤだな」
突如背筋を這い上がった悪寒に、英二は思わず両腕を摩っていた。
こちらは夕暮れ時のスーパー。
英二と同じ大学帰りの学生やら、ご近所の奥様方で大賑わいだ。
そんなスーパーで英二は、たった今レジを済ませた値引き品中心のあれこれをレジ袋に詰め込んでいるところ。
エコバックを使った方が環境にはよろしいということは重々承知なのだが、レジ袋は侮れない。
あったらあったで何かと使えて便利だ。
だが最近取沙汰されている環境問題のニュースにやけに反応してしまった英二は、ちゃんとマイエコバックも購入済みだったりする。
それに、ここのスーパーはエコバックを持ってくるとポイントが溜まるという特典がある。
ポイントに応じて割引してくれるのだから、贅沢できない暮らしをしている身には使わない手はないのだ。
と、いうわけで英二はレジ袋の日とエコバックの日を必要に応じて使い分けていたりする。
「よっし。今度不二が買い物当番の時はエコバにしてもらお」
英二は、レシートをチェックした流れで財布に入っていた「エコバックポイントカード」を一度見てから、仕舞った。
それから詰め終わったレジ袋1つを手に、スーパーを出た。
水曜日は英二のバイトが休みの日である。
加えて、不二と英二の授業コマ時間が全く重なっていない日でもある。
3回生ともなると、ゼミなど専門科目授業ばかりになってくるので、学部の違う二人は学校にいる時間が一緒でも、
同じ授業を受けるということが3回生になってからなくなった。
水曜日だと不二が4、5限授業で、英二は2、3、4限といった具合。
英二の授業が早く終わるので、こういう時は晩御飯の買い物をして帰るリズムになっているのだ。
今日の晩御飯は久々に魚が食べたくなったので、ホッケ。
ホッケとくるとお酒が欲しくなるので、今日の晩御飯は缶チューハイ付きだ。
不二がホッケをつつきながら缶チューハイを飲むのは、英二的に何だかアンバランスで、面白く見えるので気に入っていたりする。
さっきの悪寒を気にするでもなく、帰り道途中にあるペットショップを覗いたりしながら、
機嫌よくてくてくと歩いて、英二は家へと辿り着いた。
「たっだいまー……っ!」
ぞくっ。
しかし、部屋に入った途端に嫌な悪寒、再来。
やっぱり風邪の引き始めなのだろうかと首を傾げる英二の元へ、その悪寒の元凶が帰宅したのは、それから2時間半後だった。
「ただいま」
「おっかえりー……あれ?今日ちょっと早くない?ま、もう晩ご飯できてるけどさー」
5限の授業を終え、不二が帰宅すると2人用ダイニングテーブルの上にはきっちり晩ご飯が出来上がっていた。
水曜日はいつもこうだ。これが何だか新婚家庭のようで、週に1度このドアを開けるのが、
自分でも気味悪いほどに楽しみな不二だが、今日はそれが逆によろしくない。
けれど表面上はいつも通りに、洋室に鞄と上着を置いて、洗面で手を洗い、食卓に着いて、英二が座るのを待つ。
が、シンクに向かって洗い物をしている英二の後ろ姿を、いつも以上に思わずまじまじと見てしまう。
「ねぇ、英二。今日誰か来た?」
「今日?誰も来てないよー。不在届けとかもなかったし。何?またネットで何か買ったとか?」
「そういうわけじゃないんだけどね……最近物騒だし、気をつけなくちゃ駄目だよ。絶対鍵はかけて、簡単にドア開けないようにね」
「?あ、うん……何、今更」
言えるわけがない。
まさかバイト先の休憩時間に見た昼ドラの影響を受けているとは。
実は、バイトを上がって授業に向かった不二には、長くて退屈な授業の間、結局また妄想が展開されてしまっていたというオチがある。
そしてそれが英二に悪寒となって降りかかっていたというのは、2人とも気付いていないところである。
この良からぬ妄想の所為か、不二は思わず駅からの道を早足で帰って来たのでいつもより若干帰宅が早くなったのだ。
ただし、それだけではないということを説明しておくべきだろう。
水曜日はこうして2人が早く家に帰ってくるので、オトナな時間になることが多い。この機会を逃さないわけがない。
言うまでもなく。不二は水曜日が、大好きだ。
余興的に、テーブルに近付いてきた英二を引き寄せて、キスを迫った……瞬間。
不二の面前には英二の顔ではなくて、英二の手のひらが。
「ちょっと待った!今日はダメ」
「……どうして」
今日、水曜日だよ?と。
欲求不満男は怪訝な顔する。内心「今日“は”?“も”の間違いじゃないの?」と文句を言ってみるが、
駄目な理由を英二から聞くと、引っ込むしかなかった。
「不二ごめん……何かさー、俺今日悪寒するから先寝る。風邪だったら悪いし、俺床に布団敷いて寝るね」
お預けの挙句に、布団まで別!
あまりの衝撃に、不二は言い包めることもできず、ただ「大丈夫?」と声を掛けるのが精一杯だったとか違うとか。
色んなものが萎えてしまった不二は、英二が買ってきた缶チューハイ<ライム>とホッケで自棄酒気分になったとか違うとか。
……欲求不満から来た、よろしくない妄想の罰が当たったのだということを知るはずもなく。
(2009/2/28)