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in MTD -episode1 part:A-
ただ黙々とグラスを拭いて、リョーマは仕事をこなしていた。
オーダーが入れば手馴れた様子でシェーカーを振る。
そんなスマートな仕事っぷりとリョーマの凛々しさ故に、“お誘い”も数知れない。
しかし、それすらも綺麗にかわしてしまうものだから、また一際静かに存在感を放つのだ。
空間の全てを揺さ振るようにビートが響く店内。
輝度の低い、けれど鮮やかな照明が、薄暗い店内を独特の雰囲気を持つ空間へと彩っている。
ここは『club&bar Magic To Do』―――リョーマのバイト先である。
「最近どう?」
バーカウンターでひとり、飲み慣れたカクテルを楽しんでいた不二が、 楽しそうに笑顔でそう声を掛けた途端、今し方座ったばかりの声を掛けられた人物の眉がぴくりと動いた。 不二がにこにこにこにこと笑えば笑うほどに、その整った眉が寄せられていく様はある種のマジックなのか。
上機嫌で性質の悪い客が1体、不機嫌で面倒くさい客が1個。
その様子をカウンター越しにちらりとも見るでもなく、リョーマはグラスを拭き続けている。
「不二てめぇ、いい加減……いや、もういい」
毎度毎度相手してやる義理はねぇ。そう言いたげにあしらう。
跡部って意外とカタイよね。と笑いながら肩を竦めた不二は、正面に向き直って、今度はリョーマに同じ質問をした。
「ねぇ、最近どうなの?」
「まぁまぁっスよ」
「なんだ『まぁまぁ』って……!」
「へぇ。相変わらずなんだね。あ、越前。僕次、“白鯨”をロックで」
聞く割に、その返答はいつでも別にどうだって良さそうないい加減さ全開。 それを判っているので、リョーマもいつでも返答は同じだ。特にそれで文句を言われたことはない。
“最近どう?”―――君たち上手くやっていってるの?あぁ、言うけど“あっち”の方ね!
不二にしてみればこれは挨拶代わりみたいなもので、特別絶対に何か報告しなければいけないことはないのだ。 ただ、たまに面白い話が聞ければ儲けものかな、くらいの感覚である。
それにしたって相当悪趣味な挨拶ということには違いないのだけれども。
「……英二先輩放っといていいわけ?」
「桃と会うの久々だから楽しいんじゃない?」
不二がこうして悪趣味な挨拶をしている間、お連れ様の菊丸英二様はダンスフロアで踊りに興じている。
リョーマがここでバイトを始めてからというもの、不二と英二は連れ立ってちょこちょこと遊びに来るようになり、 恐らく英二から聞いたのだろう桃城もたまに遊びに来るようになり。いつの間にやら、よく見知った顔がよく出入りするようになった。 それが偶然のタイミングで同じ日に来てしまう日をリョーマは一人密かに“Xデー”と呼ぶ。
そう、本日まさに“Xデー”。しかも本日のメンツを考えると、退屈はしなくて良いが、何かと面倒な日でもある。
店に入るなり遭遇した桃と英二がフロアに出てから一向に帰ってこない。
今はまだ大丈夫そうだ。自分のテニス技と同じ名前を持つ焼酎を頼むなんて、しょーもないことをしているうちは。 跡部がどんなに鬱陶しそうな顔をしても、まだへらへらとちょっかいを掛けて、くっだらないことをしているうちも。
だが、英二があまりに帰って来ないと少々面倒くさいことになる。
くだを巻き始めるのだ、この先輩が。
それはそれは……性質が悪い。
「白鯨ロック、でーす」
「ありがとう。あれ……跡部今日は呑まないの?節約かい?」
「踊りも呑みもしねぇヤツが来る場所じゃねぇだろ、此処は」
「あれ……僕はてっきり、越前に会いに来たんだと思ってたのになぁ。なんだ、呑むのか。似非貧乏」
似非貧乏!?
跡部に空回った笑いが起こる。
あーこのひと、何かきてる。とリョーマは並んだグラスにジンを注ぎながら適当に聞いていた。
跡部としては貧乏といわれるのは心外だ。そこまで飢えてはいない。だが、あれこれの遣り繰りを切り捨てられるのも心外だ。 リョーマに会いに来たと言わせようとした不二は「似非貧乏」と言い放ったまま、焼酎を楽しんでいる。 そんなやりたい放題、あまりに自由な不二に一瞥くれてやると、跡部はポケットから煙草を取り出しながらリョーマに言う。
「おいっ、俺の酒は!」
「煩い。今他のオーダー入ってんの。俺、アンタらの専属じゃないし。オマチクダサイ」
ていうか、アンタ本当に何しに来たの。さっさと帰ってレポートでもやってりゃいいのに。あと、洗濯。
そこまでは口にしなかったリョーマだが、跡部が煙草に火を点けようとライターを鳴らす音がやたらと目立つ。 その様子を見た不二が片肘をついて、バーカウンターに乗り出してくるので何かと思えば。
「……ねぇ、跡部って堪え性ないの?」
リョーマが思わず小さく吹く。
不二の発言の所為か、リョーマのリアクションの所為か、点けたばかりの煙草で跡部が咽る。
すると静かに笑ってリョーマが答えた。
「さぁ?どうでしょ」
越前も大変そうだね……相手が堪え性ないと何かと忙しいよね。
と苦笑いしているが、越前を気遣っているのか、単にからかっているのか、それとも惚気ているのかが判らない。 取り敢えず判ることは、ここに来る時の不二は大抵機嫌が良く、跡部を散々からかってかなり楽しそうということだ。 それは今日も例に洩れず。
こんなどうしようもない遣り取りがひたすら続く。世の中、案外平和である。
出来上がった琥珀色のカクテルを客へ差し出したところで、リョーマは時計を見た。 時刻は夜10時半を回ったところ。この種の店にすれば、まだまだ宵の口。
そろそろ一旦曲調が変わる頃……と慣れきってしまったバイトのリズムが過ぎったところで。 リョーマの手が止まった。そして、「あ」と声を零した、その時。
不二の表情が一変した。
「……っやばい…!」
突如焼酎の入ったグラスを勢い良く掴むと、一気に喉の奥へ流し込み、口元を手の甲でガッと拭った。
鬱陶しいほどへらへらしていた、今までの余裕は何処へ消えたのか。 焼酎を呷ったのと同じ勢いで、席を立った。急に無言で開眼、苛立っているのか焦っているのかの判断が微妙な表情が……怖過ぎる。 それでも、猛然と息巻いてダンスフロアの人ごみを摺り抜け、掻き分けていく後ろ姿は必死だった。 天才だの、余裕だの、まるで無縁。
そんな不二を跡部とリョーマは見送ることになった。
残ったのは、まだ形の崩れていない氷の入ったグラス1つ。
「だから言ったのに」
リョーマが思わずぼそっと呟く。
不二が血相を変えてダンスフロアに消えた理由。
ダンスフロアは曲調が変わって、不二には有難くない展開になってきたのだ。 ただ単に踊り狂うだけの雰囲気ならいい。
ところが、フロアはトランス状態を誘発する曲調に転んだから一大事。 理性が飛んで本能が晒されるだとか云々をトランス状態なんて、一言で軽く片付けてもらっては困る。 そんな恍惚感に浸った人間ばかりの中に英二を放っておくなんて、危なっかしくて仕方ない。
どさくさに紛れて何されるか判ったものじゃない!
と不二は気が気でない、というわけである。
ついでに言うと、今英二と一緒にいるだろう桃城も疑われていたりする。そんな趣味はないにも関わらず。 哀れ、桃。
「おい。昔からああいうヤツだったのか」
「さぁね。そうだった気もするし、最近酷くなった気もするケド」
と、不二がダンスフロアの人ごみに消えた後、すぐ。
「ふー。おチビー、喉渇いた!いつものちょーだい!」
間が良いのか悪いのか。人ごみの中から戻ってきた手の掛かる客、1匹。
手のひらで自分をぱたぱたと仰ぎながら、知ってか知らずか英二は今し方不二が座っていた席につく。 どうやらこの様子では、曲調が変わったのを切欠に桃城のことは放ってきたようだ。 そしてまぁ当然ながら、この本人を探しに行った不二とは遭遇していないらしい。
よく躾けてあるといえばそうなのだろう。ちゃんと帰って来たのだから。ただ間が悪いだけだ。間が。
しかし、普段のイメージをかなぐり捨てたようなあの必死さを思い出すと、爪の先ほどだけ不二を不憫に……跡部が思ったとか思わないとか。
「……アンタいつも変わるじゃないっすか。どれ」
「ちぇっ、言ってみたかっただけじゃん。んもー!おチビなら判れよなぁ、長い付き合いなのにさー」
英二は目の前に置かれている空のグラスに気付くと、「不二どこ行ったの?」とリョーマに尋ねたが、 冷蔵庫を開けるその背中には声が届かなかったのか、リョーマは何も返さない。
いや、本当はちゃんと聞こえていて、自分がどうすべきなのかをリョーマはちゃんと把握しているのだ。 きょろきょろと辺りを見回して、今にも不二を探しに行きそうな英二を引き留めておくことくらい。
全く、世話の焼ける先輩たちだ。
「ハイ、ドーゾ」
カン。
バーカウンターにグラスいっぱいの真っ白な牛乳が置かれた音である。これで、気を逸らす。
ぶー。
迷いなく差し出された牛乳に不満を訴える英二が頬を膨らませた音である。
猫語こそ使わなくなったものの、やはりまだ20歳の割に仕草に幼さが出る。 結局6年経っても、あの先輩もこの先輩も年齢以外は全く変わっていないのだ。まぁ、恐らくそれはリョーマも。
何か変わった事を挙げるとすれば。
「跡部来てんじゃん!ひっさしぶりー」
声を掛けた英二に特に何を言うわけでもなく、跡部はただ煙草を燻らせているだけ。 その様子を見た英二が、リョーマに「おチビ、跡部お酒出てないけどいいのか?」と訊いたところで、 彼のオーダーをすっかり忘れていたことに気が付いて。
跡部が盛大に紫煙を吐いたのを、英二が「大丈夫だーって!おチビはちゃんと愛してくれてるって!」と変に慰めている。
という変な図が出来上がることが有り得るようになったことか。
「っつーか、あとべーも案外べったりしたいタイプなんだ?」
「その呼び方はやめろっつってんだろ」
「やーだ。中学ん時から使ってんだもん、今更直すのめんどくさいじゃん。意外とカタイよなぁ」
その台詞、別の誰かからさっき聞いた気が。反対なタイプに見えて、案外似た者同士なのかもしれない。 そんなところもなければ何年も続いていないのだろうけれど。
英二の生まれ持った気質が、周りの人間のペースを知らないうちに巻き込んでしまうのか。 傍から見れば違和感ある組み合わせでも、気が付けば馴染ませてしまうから不思議で。 例えば、そう、まさにコレ。
それはそれは変な図だ。
唯一の共通点と言えば……髪型?
とリョーマはカウンターを挟んで、微妙に会話が成立している客一匹と一個を見比べる。
すると、そこへ。
「はぁっは、っ……英二…戻ってたの…」
「ちょっと不二ー、おちびが牛乳出してきた…ってどしたの不二!?な、なんかぼろぼろだけど…」
髪から服、呼吸まで乱しながら、人ごみから帰って来た不二が。
このカウンターから見てもうんざりするほどの人で溢れたダンスフロアだ。 それをたった1人を見つける為に掻き分け歩きながら、恐らく面倒な絡みにも遭った結果。 普段の姿から想像がつかない様子は、事情を思うと笑うに笑えないが、正直言って違和感だらけで滑稽だ。
「英二、それ……貰って良いかな?」
「あ、うん……」
不二は、一部始終を知っている跡部とリョーマに「余計なこと言わなくていいからね」と視線でだけ告げて。 何か訊きた気にしている英二から牛乳を受け取ると、銭湯のおっさん宛らの飲みっぷりでグラスを干した。
そんな不二を見て、煙草を灰皿に押し付けると同時に跡部が、くっと笑うと可笑しそうに言う。
「おい、不二。そんなに心配なら首輪でも付けとくんだな」
羽織っているチェックのシャツの乱れを手早く直しながら、不二はバツの悪そうな顔になった。
けれどその内心で、二度と跡部とリョーマにこんな展開と自分を晒すまい、と堅く決めたと同時に、 でも首輪は良いかもしれないとも思っていたところが不二である。
在り方の違うカップル2組。これでも案外仲良くやっていたりして。
やはり賑やかな今夜である。
(2008/09/09)