in MTD -episode1 part:B-
ホールでは依然センシュアルなウイスパーボイスが、高らかに激しく愛のトランスを歌い上げている。
浮かされた男と女が露骨で過剰な愛情表現、憚る事もなくちらほら所かやたらと目立つというのに、
このバーカウンター前を陣取った三人……プラス、仕事中であるはずなのに一応参加人数に含まれるアルバイター、計四人のお喋りは、
透明な壁でも隔てているかの如く。
「確かに時給は良いよ?けど勿論、それに見合うだけの労働力を割いてるから、の時給じゃない」
「もー不二ぃ、その話は良いってばー」
新たにオーダーしたカンパリオレンジ片手に熱弁を振るうのは不二周助。
その傍ら、もう聞き飽きた!とばかりに唇を尖らせるのは菊丸英二。
「良くないよ!全っ然良くない!ねぇ跡部!」
「……どうでも良い」
矛先を向けられた跡部景吾が、気の無い返事と共に紫煙を吐き出し。
「つーか不二先輩、その話何度目っすか」
「そーだよそーだよ!もっと言ってやれおチビっ!」
「いや別に助け舟出してるワケじゃないんで」
視線は手元のカクテルグラス、冷えたペリエの瓶を傾けながら、越前リョーマの声が混ざる。
降り頻る幾千のブラックライト、ホールを震わす地鳴りビート、最高潮のトランス・タイム。
……には目も繰れず、寧ろ関係も興味も無いと言わんばかりの三人プラス仕事中のアルバイターは、銘々好きなポージングでその場を楽しんでいる様だ。
高いカウンターチェアに足を組んで座った不二が、半ば空にしたグラスを置き。
先程から結構なハイペースで消化されて行くアルコールには全く比例しない、それはまるでこの店に来店したその時と変わらない様子で、
しかし一度ダンスフロアの人混みに割って入って出て来るという荒業を成し遂げたせいか少々乱れの残る髪をかき上げつつ。
「僕は心配なんだよ。あんな無茶なバイトしてて、もし英二が体を壊しでもしたら。帰りも遅くなるし、最近は変質者も多いし!」
「お前に言われちゃ、変質者も気の毒だぜ」
「どういう意味だい?僕は英二にしか欲情しないんだけど」
「わーわー不二ってばそういう事言うなよ!」
「その発言自体が十分ヤバいっすけどね」
「しかも男としてどうだよそれ」
ふふん、と鼻で笑う跡部に、切れ長の瞳を開眼させる不二。
英二盲目愛を豪語する不二でも、男の沽券を傷付けられるのはあまり快いものではないらしい。
証拠に、開眼した瞳を再びにっこりと緩ませ、しかし声に含まれる響きは、逆襲とからかいを多分に含んで。
「あれ?跡部、それって浮気発言?」
なんて事を言うものだから、跡部も眉を跳ねさせる。
「一般論だ」
「焦って返す所がまた怪しいじゃない。越前、大丈夫な訳?この堪え性の無い男」
「さあ?」
「さあって何だ!お前、俺を疑ってんのかよ。そして否定しろよ!」
「いや、好きにすれば?って意味だけど」
出来るもんなら。
後半は無視して、口元には笑みすら刻みながら返す言葉。
それに対して反論を並べる事は、この場では得策ではない。何せ、ここはリョーマのフィールドであり、傍らには自らよりほんの少しだけれども付き合いの長い、
そしてタチの悪い、ついでに言うと何だかんだで後輩を可愛がっている二人の男が控えている。
そして何よりも……不二に対して偉そうな事を言えない立場であるのは、自分が一番理解しているのだ。
不二ほど露骨な言葉に出来るはずもないが、似た様なモンだ、との自覚はある。
結局、“出来るもんなら”に対する対抗策は無い。
跡部は口内で舌打ちを一つ。最後の一本を取り出したソフトケースをぐしゃりと握り潰す事で、苛立ちを露わにするしかない。
「おチビかっくいー!」
英二が瞳をキラキラさせながら手を叩く。
この四人が集まればよくよく目にするこれらのやり取りに、少しのわだかまりも生じやしない。
結局は、例えばリョーマがこんな対応をする人間がかなり限られている事を、不二も英二も、跡部だって、知っているのだから。
分かっているからこその反応やからかいである。
所で、少々悪目立ちの過ぎる男が四人、夜のクラブの一角を担っているとなると、投げ掛けられる視線はなかなかに濃くて甘い。
しかしそれ以上の行動に出る者が居ないのは、まず第一に、一人がアルバイトのバーテンダーである事、そして残りが常連客である事。
最後に、それらが融合した四人という数が、場慣れした女達を尻込みさせていた。
しかし、その均衡が崩れる瞬間も、稀にやって来る。
例えば英二が、フロアで後輩の桃城とユーロビートに身を任せていた時。
例えば不二が、そんな英二を血相を変えて探しに行った時。
例えばリョーマが、カウンターを離れ切れたストックを補充しに向かう時。
そして。
「あれ、あとべーどこ行くの?」
「煙草」
「主流煙より副流煙の方が毒性強いんだよ?越前が肺ガンになったら跡部の責任だね。……そうだ、それもあった!ねぇ英二、やっぱりパチンコ屋のバイトは、」
「しつこい!」
地下一階のこの店唯一の、自動販売機。
出入り口の階段下、煌々とバックライトを灯すそこに、跡部が向かった時。
丁度リョーマは新しく入ったオーダーのため、半分に切ったレモンをスクイーザーで絞っていた。
切り立てアンド絞り立て。瞬間的に生まれる酸の酸っぱい香りは心地良いもので、濃いアルコールばかりを扱うこの場では耐性のあるリョーマにとっても
ひと時の癒しだ。
種が入らない様に注意しながら果汁をシェイカーに注ぎ込み、さて一振り、と思ったその時だった。
「あー……」
何かに気付いた英二の声に、リョーマが顔を上げて。
「捕まったね。そう言えばさっきから、うざったい視線は何個かあったけど」
含み笑いの不二の声に、その焦点が絞られる。
主にダンスに興じるのが目的の客が多い中、このバーカウンターから一直線、出入り口付近はまだ、見晴らしが悪くはない。
特に薄暗いブラックライトだけでなく、階段を照らすライトに相まって自動販売機のバックライトもあれば、そこそこ目の良い人間ならば、数メートル先のそこでも、
何事が起こっているのかくらいは判別が付くだろう。
胸強調足主張、細い括れが艶かしい。
いかにも場慣れした若い女が二人、跡部に絡んでいた。
「私達二人で来てるんだけど、一緒に踊らない?」
「……何すか不二先輩」
「読唇術」
目の良さになら定評のある英二やリョーマだが、そんな特殊技能は持ち合わせていない。
にっこりと笑った不二は、さも楽しそうに続きを読んだ。
「良かったらお友達も誘ってよ。人数多い方が楽しいしぃ……って、僕達もご所望みたいだね」
「えー。ってーかあの二人、明らか遊んでるって感じ。色んなイミで。苦手なタイプだなー」
勿論その気などない二人は、しかしチラチラとリョーマを見るのを忘れない。
「間に合ってる……だってさ。ちゃんと断ってるじゃない、跡部」
「でもしつこいなぁあの二人。あとべー超機嫌悪いじゃん。ただでさえおチビが苛めた後なのにぃ」
シェイカーを振る音が続く。
そしてその細められた視線が、数メートル先から外れる事はない。
「うっわ」
英二の声が上がる。
女の一人が、細い腕を跡部の腰に回した時。
「跡部もあれで、余計な所がジェントルだからね。跳ね除ける事は、」
そんな、不二の言葉の途中だった。
―――ヒュンッ!!
空を切る音が響き、不二と英二の顔の間を、何かが猛スピードで横切ったのは。
それが何なのか。判別が付いたのは、その物体が数メートル先の跡部の顔面、と言うか右目の正に眼球部分に、クリティカルヒットした後だった。
普段の跡部ならば、簡単に避ける事が出来ただろう。……見晴らしの良い昼間で、かつ苛々の窮地にさえ居なければ。
どこかで見た光景だ、と不二と英二の思考に過ぎるのは、中学時代から幾度も目にした“事故”のシーン。
その様なラフ・プレーを好む好まないは別として、一瞬の判断を誤れば顔や体に直撃する、レモンイエローの凶器。
流血沙汰は勿論、人一人が吹っ飛ぶなんて事もあったあの頃の“事故”の数々……。
丁度掌サイズのあれは……さきほどまでリョーマの手にあった、レモンの絞りガラだ。
よろめいた跡部がたたらを踏みながら顔を覆う様は、何とも言えず滑稽で。
唖然とした表情の女達を置いてバーカウンターに走り帰った跡部は、何食わぬ顔で出来上がったカクテルをグラスに注ぐリョーマに、胸倉を掴まん勢いで
吠え掛かる。
「てっめェ!何してやがる!!」
「……仕事?」
「ふざけるな!俺が何をしたって言、」
―――プシュ。
「ウルサイ」
続いた音と共に広がる、相変わらず心地の良いレモンの香り。
……くし切りにされた飾り用レモンの果汁が、跡部の目を目掛けて発射された音。
「み、見てるこっちが痛くなって来た……」
再び顔を覆い、声にならない悲鳴を上げてバーカウンターに沈んだ跡部。
不二は、口を手で覆い、堪え切れない笑いをそれでも何とか堪えて肩を震わせる。
英二は、痛い様な酸っぱい様な微妙な表情を浮かべながら、合掌。
「……虫退治、しただけじゃん……」
不貞腐れた表情で吐き出された小さい呟きは、その真意を問い質した人間には届かず。
そして、唯一それを拾った二人の人間は、顔を見合わせ小さく笑う。
「……ね。あれで結構、上手くいってるんだよ」
「……だね」
眠らない街に集う、若者達の溜まり場で。
意外と大胆に繰り広げられる、二組の色の違う恋愛模様。
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その場所は、『club&bar Magic To Do』。
(2008/09/14)